西井聖事は、今の「茜彩庵 山水」がある群馬県多野郡鬼石町(現:藤岡市保美濃山)に生まれた。下久保ダムとともに神流湖ができ、道路が整備されると実家は「ドライブイン山水」を始めることになる。
忙しく立ち働く父と母を見ながら、西井は自ずと長男である自分がここを継ぐのだと考えていた。高校を出た西井は調理師専門学校に入るため東京へ行き、卒業後、和食店で本格的な修行を開始する。厨房の雑務をこなす追い回しに始まり、焼き場、煮物づくり、魚を裁き刺身を盛るなど経験を積みつつあったが、予定よりずっと早い3年半というタイミングでドライブインに呼び戻されることになる。
連日賑わうドライブインの客は、観光客やダム工事の業者客。作って出す料理は、カツ丼や天丼が主なものとなる。宴会客が入れば多少手の込んだ料理は出すが、まかりなりにも日本料理店で修行した西井の心には、板前の仕事への想いがくすぶっていた。
そうして何年かが過ぎた頃、ドライブインは徐々に勢いを失っていく。近くに大きな「道の駅」が出来たのだ。時を同じくして、近隣の知人の旅館が斬新なリニューアルを遂げて成功し始めていた。自らがそうであるように、いずれ継ぐ子供たちのためにも繁盛する店を築いておきたい。西井は山水をドライブインから、五室だけの本格的な高級旅館「茜彩庵 山水」としてリニューアルすることを決意する。
立地は元々ロケーションに優れた湖畔の側。宿のモダンな和の佇まい、館内の設えも申し分ない。ラウンジ、客室、食事処のどこからでも一望できる神流湖の美しい眺めは、ハードとしての最大の特徴である。であれば、ソフト面での最大の売りは「料理」だ。まして高級旅館をつくるのだから、生半のものでは済まない。西井は山水のリニューアルにあたり、施設と同様に自身の料理をステップアップさせる必然性を感じていた。
そうして建築計画が進む中、西井は設計事務所を通じて一人の人物と出会うことになる。
有限会社 和心紡 取締役「大山広幸」。いくつもの懐石料理店、有名高級旅館の料理長を経て独立。料理献立の考案をはじめ、調理師の派遣・紹介、厨房設計など多岐に渡って活躍する料理のトータルアドバイザーである。
仕事をはじめるにあたり二人はいきなり対立する。若い頃に修行した本格的な懐石料理への想いから、マグロやヒラメなど海の魚を使おうとしていた西井の考えを大山は一蹴したのだ。
「ここで宿をやるならば、地産地消にこだわるべき!」と主張する大山。
「この辺には旨いものなんて何も無い!」と反対する西井。
意見はまっぷたつに分かれたが、ともかく二人は連れ立って地元にある食材を探し始める。
高崎で修行後、家業のドライブインを継ぐ。2007年リニューアルの「茜彩庵 山水」の庵主兼料理長 |